Aug 4, 2026 Fragments

空中待機

by kkyam ·

モスクワ到着が近いというアナウンスがあり、機窓から地上を見下ろした。すぐ手が届くような距離に、無限と思われる雪原が広がっている。雪は止んでいるが、凍りついた大地だ。ところどころに、かろうじて枝葉を覗かせている針葉樹林、そして細い線のような道路を這う数台の大型車両が見える。搭乗機はかなりの低空でゆっくりと飛行しているようだ。

視界に入ってきた粗末な小屋が、少し前に目にしたものに酷似しているように思えた。ソビエト連邦の風景や建物というのは、どこにあってもここまで似通っているものだろうかと考えた。しかしすぐに、その光景は似ているのではなく、10分ほど前に見たものと同じものであることに気づいた。雪を被る木立の形状や道路の曲がり方にも覚えがあり、何より自分が乗る航空機の客室がわずかに左に傾き、横Gが身体の右側にかかっていたからだった。おそらく機体は、モスクワのシェレメーチエヴォ空港への着陸を待たされていて、空港上空で低高度での旋回を余儀なくされているのだ。

上空待機の理由が、降雪による滑走路の混雑や除雪作業によるものだったのか、社会主義国の航空当局による資本主義国の航空会社への嫌がらせの類だったのかはわからない。

あれは、ソ連という国がその形を失う少し前の、1991年11月の火曜日だった。当時、日本から西欧に向かう国際便の多くは基本的に直行便だったが、ソ連が自国の空域(主にシベリア上空)を飛ぶことを許可する見返りに、週に何便かをモスクワ経由にすることを求めていた。私は出張で急にロンドンに行くことになり、その年の初めから続くソ連の政情不安を懸念しながらも、スケジュールの都合で渋々モスクワ経由便に乗ったのだ。搭乗日の曜日を覚えているのは、その航空会社が、毎週火曜日の便だけをモスクワ経由に設定していたためだ。

経由地モスクワへの到着時刻がすでに大幅に遅延している。このフライトが再び離陸して最終目的地のロンドンに到着するのは、さらに遅れるだろう。翌朝の打ち合わせには間に合うだろうが、今夜ホテルの部屋にたどり着くのは深夜近くになるかもしれない。憂鬱な気分で機窓から暮れゆく白い原野を眺めていると、機体のエンジンが急に回転を早め、身体が真っ直ぐにシートバックに押し付けられた。どうやら着陸の許可が出たようだ。機体が旋回を終え、滑走路に向かうための直進を始めた。

シェレメーチエヴォ空港に着陸すると、他の滑走路では、アエロフロートの航空機が自在に離着陸を繰り返している。やはりこのフライトは、政治的な理由での旋回待機を命じられていたのかもしれない。

機体がターミナルビル前の駐機スポットに到着し、前方の扉が一つだけ開けられた。航空会社の地上スタッフに代わって乗り込んできたのは、カラシニコフを担ぐ軍服姿の男たち数人だった。続いて、清掃員の姿をした集団が乗り込んできた。通常のストップオーバーでは、機体には燃料が搭載され、機内食カートが積み直され、簡単な機内清掃が行われるはずだが、それらが迅速に行われる気配はなかった。軍服姿の男たちはカラシニコフのトリガーに指をかけ無言で立ち、清掃員たちはギャレーに保管されていた手つかずの機内食や提供されなかったドリンク類を、漁るように大きな袋へと詰め込み始めた。

本来この時間には、ロンドンに向かう搭乗客は一時的な降機が可能で、シェレメーチエヴォ空港のターミナル内で免税品などを購入することもできるはずだった。しかしその日は誰も降機を許されなかった。仕方なくシートに座ってじっとしていると、清掃員たちは乗客の目の前のシートポケットからも、機内誌やパンフレットなどを残らず回収し始めた。明らかに乗客個人の所有物と思われる書籍やウォーターボトルなども持ち出そうとする者もいた。私はすかさず、シートポケットに入れていた携帯音楽プレーヤーとヘッドホンを手に取り、念のため頭上の荷物棚に入れていたバッグを足元に下ろした。根こそぎ、スプーンからトイレットペーパーに至るまで、手に取ることができる機内のあらゆるものが持ち去られた。事務的な表情の盗賊団のように清掃員たちが機体を離れると、軍服の男たちも職務を全うしたような風情で降機した。

機内食もドリンクも補充されないまま、ドアが閉まった。それからかなりの時間待たされたのちに、機体は夜の滑走路をロンドンに向けて離陸した。機長が、モスクワの空港の「ちょっとした混乱」で運航スケジュールが大幅に遅れていることを詫びつつ、「燃料は十分にあるので、これからロンドンへ急ぐ」とアナウンスした。続いて、チーフパーサーが、ロンドンまでの3時間ほどのフライトでは残念ながら温かい機内食は提供できないが、スナックやドリンクは確保してあると乗客に告げた。それについて不平不満をいう乗客はいなかった。

その後、ソ連の政情はさらに激動し、市民は体制の変更による混乱に伴う市中の極端な物不足に苦しんだ。そして12月26日、社会主義国ソビエト連邦は崩壊した。私は、自分があの出張で、一つの国の体制が根底から変貌する瞬間に、偶然に立ち会ったのだと思っている。あのカラシニコフを担いだ軍人や清掃員が実際には誰だったのか。どのような組織に属していたのか。政変を支持していたのかどうか。それはわからない。しかし、社会の仕組みや秩序が形を失う時の、混沌をも凌ぐ不安定さに恐怖を感じた。その体験はその後、国や体制や国境の意味を考えるきっかけになった。

世界はあれから平和にはなっていないし、ソ連を事実上引き継いだロシアは現在、紛争当事国だ。ロシア上空には民間機はほぼ飛べず、世界の多くの旅行者の目的地リストから、ロシアは消えてしまった。あの旋回は、まだ終わっていない。